新作は「自在鳳凰」です。
旧作「自在龍」とあわせ、龍鳳そろった展示をお楽しみください。
上野玉水は小禽の木彫で知られ、三の丸尚蔵館に《粟鶉》が収蔵されている。同作は三の丸尚蔵館の平成27年の展覧会図録『鳥の楽園-多彩、多様な美の表現』に掲載されており、解説には「昭和六年に伏見区長長間部忠雄より秩父宮家へ献上された品」とある。
上野玉水の人物像についてはあまり知られておらず、同図録の解説にも「生没年不詳」「昭和初期に活躍した京都の木彫家で、小禽を得意とした」とあるのみだが、以下に抜粋する 『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』(八紘社 大正2年)の記述でその経歴が知れる。
君は大阪の木彫家なり明治十年十二月三重縣志摩郡的矢港に生る、先代小三郎重光の長男、家世々木彫業を以て立つ祖父は治長と云ひ寺社の番匠にして嘉永年間島の青峰山正福寺樓門を建築し其彫刻に精巧を極め名あり君名は隆平字は重寛、玉水と號す夙に業を父に受く性繪畫を好み始め松阪の畫家田中成明章に就き圓山派の畫法を學ふ年あり明治卅年春大阪骨董商山中箺篁堂主人の招聘に應し居を浪華に移し爾来専ら斯業に従事す第五回勧業博覧會に鶉置物を出品する以来各種の諸會に於て銅賞褒状を受領する數次、嗜好、和歌、浄曲落語、謡曲皆堪能なり(大阪市南區天王寺大道二丁目)
明治十年三重県の木彫業を代々営む家に生まれ、本名は隆平、明治三十年に山中箺篁堂主人の招聘で大阪に移ったということから、山中商会との関わりも興味深い。なお、第五回内国勧業博覧会には上野隆平の名で出品されており、『第五回内國勸業博覽會美術館出品目録』に出品作の写真が掲載されている。
第五回内國勸業博覽會事務局編『第五回内國勸業博覽會美術館出品目録』(第五回内國勸業博覽會事務局 明治36年)
また、明治45年6月5日から9日まで開催された「大阪彫刻会第一回展覧会」に、上野隆平の名で作品の出品が確認できる。「大阪高麗橋三越呉服店にては、今回新たに組織したる大阪彫刻会員の作品六十余点を陳列し、縦覧に供したり、場中衆目を惹きしもの左の如し」として、以下の作品が挙げられている。ここでも出品作は鶉である。
日本美術年鑑編纂部編『日本美術年鑑』第3巻 大正元年度(画報社 大正2年)
https://dl.ndl.go.jp/pid/936721/1/32
このように大阪での活動が確認できる玉水だが、昭和の初めには京都に居を移していたとみられる。島根県益田市で郷土民芸研究所を創設した彫刻家、和泉秀岳は「昭和二年京都に上り、上野玉水の門をたたいて十八年間彫刻に精進」したという。「鳥の彫刻に、特別すぐれている」と伝わるのは玉水譲りであろうか。
矢富熊一郎『益田市史』(益田郷土史矢富会 1963年)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3022455/1/432
下記書籍に、1904年のセントルイス万国博覧会に出品された下条正雄(下条桂谷)の屏風の図版が掲載されている(下条は同博覧会で金牌受賞)。
Illustrations of selected works in the various national sections of the Department of art, with complete list of awards by the International jury,
Universal expositions, St. Louis, 1904.
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=chi.73257720&seq=364&q1=and
同博覧会出品の美術品の作品図版も掲載されている下記カタログなどには、なぜか下条正雄の出品についての記載がない。また、同じくこの博覧会で金牌を受賞したことで知られる大橋翠石もみられない。
聖路易博覧会出品日本美術 / The Illustrated Catalogue of Japanese Fine art Exhibits in the art Palace at the Louisiana Purchase Exposition, St. Louis, Mo. U. S.
A.
https://www.tobunken.go.jp/archives/PDF/library-books/9000AA2217.pdf
Official catalogue of exhibitors. Universal exposition. St. Louis, U.S.A. 1904. では下条正雄、大橋翠石ともに出品が確認できる。『聖路易博覧会出品日本美術 』の「日本画之部」出品目録と比較すると、日本画ではこの二名のみが追加されていることがわかる。 https://archive.org/details/officialcatalogu00loui/page/n387/mode/2up
下条正雄、大橋翠石の出品は以下のようになっている。
Gejo, Masao, Tokio. 5. Landscape in Snow with a Fisher-man's Cottage. 6. A Pair of Screens: Heron and Willow in Snow, and Crow and Pine. 7. A Pair of Screens: Landscape, Bamboo Forest.
Ohashi, Suiseki, Tokio.
48a. Tigers. A pair of Screens.
1904年のセントルイス万国博覧会における絵画での金賞は下条正雄、今尾景年、渡辺省亭、大橋翠石の四名、その上の最高賞は橋本雅邦のみである。大橋翠石の後見人であったという金子堅太郎は日露戦争をめぐる外交工作に同博覧会を利用しており、下条正雄は博覧会行政に関わってきた政治家という面も併せ持つ。両者の同博覧会出品、金賞受賞には果たしてこのような政治的背景も影響しているのであろうか?
なお、大橋翠石出品の虎の屏風については、片隻の写真がこちらに掲載されている。
History of the Louisiana purchase exposition
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=uiug.30112078710792&seq=575
昭和12年5月、「白鶴翁」嘉納治兵衛が催した茶会「白鶴山荘春季美術館釜」の飾付けに、鷹の自在置物が用いられていたことを、当時の『茶道月報』の記事が伝えている。
『茶道月報』(319),茶道月報社,[1937-07]
https://dl.ndl.go.jp/pid/11208215/1/52
「白鶴山荘春季美術館釜」は「白鶴翁自ら銘器をひつ提て美術館前の山荘に於て二日間在釜される例になつて居る」といい、「それで此春は去る五月十五、六の両日にも盛大に催された」とある。
鷹の自在置物が用いられた本席の飾付けは以下のような内容であった。
床 水車躍鯉楓図 一鳳筆
花生 乾隆官窯黄地壺
花 天女花 百合
書院 堆朱鐘鬼〔ママ〕彫香合
棚上 正倉院御物寫
弾弓 竹絃 矢二本
奈良 森川杜園作
木彫武内宿禰像
同 杜園作
棚下 鉄製鷹 唐木枠の上にとまって居る置物 明珍作
「鉄製鷹」について、「鷹の置物は名工明珍の作であって例の如く羽、尾、首など自由自在に動くようになって居る」と記されていることから、自在置物であったことが知れる。鯉、鍾馗、弓矢などを表した作とともに飾られていることからわかるように、この飾付けは五月人形の趣向であった。飾付けに合わせて用いられた、それぞれ銘が金剛杖、弁慶の茶杓と蓋置、法螺貝を写した道八作の鉢や山道盆なども、五月人形のモチーフにもされる「勧進帳」の牛若、弁慶を表している。
第二次大戦後は長く忘れられ、近年では明治期の輸出向け工芸品として注目されることが多い自在置物だが、昭和初期において、著名な実業家でもある嘉納治兵衛の催した茶会で用いられた記録があることは興味深い。当時、少なくとも茶人のように古美術品に親しむ層には「明珍」による可動の作品が広く知られていたことが、「例の如く羽、尾、首など自由自在に動く」と書かれていることから窺える。白鶴美術館と同じく神戸の香雪美術館は、茶人でもあった村山龍平の収集品を収蔵する美術館であるが、大阪で活動した板尾新次郎の作とみられる鷹の自在置物を所蔵している。板尾新次郎は山中商会とも関わりがあったとみられるが、山中吉郎兵衛、村山龍平、嘉納治兵衛はいずれも関西の実業家を中心とする茶の湯の会「十八会」の会員であった。「白鶴山荘春季美術館釜」で用いられた「鉄製鷹」は「明珍作」となっているが、板尾新次郎の作であった可能性もあるように思われる。
以前スウェーデンの東アジア博物館所蔵の自在置物について紹介したが、同じく北欧のノルウェー国立美術館オンラインコレクションでも自在置物がいくつか公開されている。同館は2022年に北欧最大級の美術館としてオスロにリニューアルオープンしたという(https://www.norway.no/ja/japan/norway-japan/news-events/news/33/)。
確認できる自在置物は以下のとおりである。
伊勢海老(2点)https://www.nasjonalmuseet.no/samlingen/objekt/OK-11686 https://www.nasjonalmuseet.no/samlingen/objekt/OK-11689
このうち、蛇・蛙・手長海老について、以下に紹介する。
蛇は下顎に「宗明」の銘があり、高瀬好山工房の工人であった宗明の作であると思われる。
Foto: Nasjonalmuseet/Larsen, Frode (Creative Commons - Attribution CC-BY)
https://www.nasjonalmuseet.no/samlingen/objekt/OK-11687
Foto: Nasjonalmuseet/Larsen, Frode (Creative Commons - Attribution CC-BY)
https://www.nasjonalmuseet.no/samlingen/objekt/OK-11687
蛙はヒキガエルがモチーフであろう。可動部分はそれほど多くないようだが、口や指も動くように見受けられる。蛙の自在置物は確認されている作例は少なく、美術館所蔵となっているのも珍しい。
Foto: Nasjonalmuseet/Larsen, Frode (Creative Commons - Attribution CC-BY)
https://www.nasjonalmuseet.no/samlingen/objekt/OK-11688
オンラインコレクションには銘などの情報は確認できないが、手長海老の自在置物ではよく見られる明珍宗長の作と共通する作風である。
Foto: Nasjonalmuseet/Larsen, Frode (Creative Commons - Attribution CC-BY)
https://www.nasjonalmuseet.no/samlingen/objekt/OK-11690
明治天皇が自在置物に興味を惹かれていたことを記した、沢田撫松編『明治大帝』(帝国軍人教育会 大正元年)中の「妙珍作の龍と蟹」という逸話について「自在置物を好んだ明治天皇」で述べたが、この逸話は、明治6年のウィーン万国博覧会、同9年のフィラデルフィア万国博覧会に派遣されるなど早くから日本の美術、工芸と関わってきた塩田真の談話に基づくものとみられることがわかった。
この談話は、『研精画誌』第65号(美術研精会事務所 大正元年)に「先帝と美術」と題してして掲載されている。「妙珍作の龍と蟹」とほぼ同じ内容のエピソードもあるが、それにはない情報もいくつか含まれている。
まず、蟹の自在置物を明治天皇に献上した人物が「骨董商の若井」となっている。これはおそらく起立工商会社の副社長も務めた若井兼三郎であろう。この蟹は若井が二百円で買ったもので、外国人に売れば六百円にはなるものであったという。若井は献上の際に購入代金分の二百円の目録を賜ったと記されているが、これは明治15(1882)年5月24日、浅草本願寺で開催された観古美術会への明治天皇の行幸に際し、龍池会から「明珍作鐵製蟹置物」が献上された折に「龍池会に金二百円を賜ひて明珍作鐵製蟹置物の献上に酬い」たという記録(1)があることと一致する。
明治天皇が松平確堂の「七寸位の鐵の打出しで伸縮龍と云はれる」ものを気に入り、献上されることになったという話の中では、「是れから頻りと上方邊でこの似せ物が出来て外國人など大分やられた様子だつた」と語られている。これはシカゴ万国博覧会などに自在置物を出品した板尾新次郎が大阪で活動し、その作品の多くが明珍の作として売られたと伝わっている(2)ことと符合しており、興味深い。京都の高瀬好山の作品も、鉄製のものはおそらく明珍の作として売られたことも多かったであろう。この話はこれらの事情を反映したものとも思われる。
また、山田宗美にも触れている。明治35年の日本美術協会展覧会への行幸の際、明治天皇は特に山田宗美の鶏の雌雄に目を止め、実際に手にとってその軽さを確かめたという。自在置物と同様に鍛鉄の技術を用いた作品として山田宗美の作品に関心を寄せていたことが窺える。
「先帝と美術」の内容は「自在置物を好んだ明治天皇」で指摘した疑問点もそのままではあるが、このように往時の自在置物をめぐる状況の一端を覗かせるものといえるだろう。
註
岡山出身で後には京都で活動した明治の金工家、正阿弥勝義の銘があるムカデの自在置物が現存している可能性があることがわかった。
1898年に英国で出版された日本美術コレクションのカタログにムカデの自在置物が記載されている。ムカデは鉄製で大きさは17 1⁄2インチと記されており、銘は正阿弥勝義となっている(Michael Tomkinson, A Japanese Collection Volume 2, London, Allen, 1898, p. 62.)。
このカタログは1878年から日本美術の収集を始めたという Michael Tomkinson (1841-1921) のコレクションのカタログで、その一大コレクションは多くの展示に貸し出されたが、彼の死後間もなくロンドンでオークションにかけられたという。
https://www.bada.org/features/empire-sun-laura-bordignon
ムカデの自在置物は珍しく、一般に知られている作例は原田一敏「別冊緑青 vol. 11 自在置物」(マリア書房 2010年)に掲載されている個人蔵の作品一点のみであるが、英国ケントの Chiddingstone Castle のコレクションにも存在する。このコレクションは Chiddingstone Castle の所有者であった Denys Eyre Bower (1905-1977)により収集されたもので、日本美術のほかに仏教美術、古代エジプト美術なども含まれている。2005年に同コレクションの一部を借りてドイツで開催された展覧会の出品作品解説に、龍、鯉、蟹、孔雀、伊勢海老、昆虫とともに、ムカデの自在置物も確認できる(https://www.academia.edu/7748438/Aus_der_Wunderkammer_Chiddingstone_Castle)。
"signed in the more sophisticated sosho,running, script and with a silver seal attached to the undersurface" という記述から、百足の下面には銀の銘板があることがわかるが、誰の銘であるかは明らかになっていない。
以下のリンク先で、ムカデを含む自在置物が Chiddingstone Castle で実際に展示されている様子が見られる。
https://www.flickr.com/photos/tedesco57/17051824455/
https://www.flickr.com/photos/tedesco57/17050351002/
https://www.flickr.com/photos/tedesco57/17051821585/
これらの写真などから Chiddingstone Castle のムカデの自在置物は、本物のムカデよりもかなり大きいことがわかり、Tomkinson コレクションのカタログに記されたムカデの大きさである17 1⁄2インチ(40cm余り)に近いように見受けられた。
そこで、明らかになっていなかったムカデの銘について Chiddingstone Castle に問い合わせてみた。参考としてハリリ・コレクションの正阿弥勝義の作品の銘(Victor Harris, Japanese imperial craftsmen : Meiji art from the Khalili collection, London, British Museum Press, 1994 に掲載のもの)の画像を送った。現在、展示室を閉室中で、次の開室まで実際の作品での確認はできないとのことではあったが、以前に撮影された写真に正阿弥勝義の作品の銘によく似たものが確認できる、という返答があった。その写真はあまり鮮明ではなく、銘を正面から撮ったものではなかったが、確かにハリリ・コレクションの作品にもある「勝義」と読める銘板がみられる。
参考:清水三年坂美術館所蔵の茶入にある「勝義」の銘
https://www.flickr.com/photos/sushifactory/12247799284/in/album-72157640368761486/
ムカデの大きさは41.7cmで、やはり大きさの点からも Michael Tomkinson 旧蔵のものと同一の可能性があるという見解であった。また、ムカデは含まれていなかったが、同コレクションの日本の美術品には、Michael Tomkinson の旧蔵品とわかっているものがいくつかあるという。Denys Eyre Bower は最晩年の1977年に来日した際、修理のためにこのムカデを携えて来たという記録も残っている、とのことである。
正阿弥勝義は銀製の精巧な可動の骸骨も作っており、自在置物を作っていても不思議はないと思われる。Chiddingstone Castle のムカデは大きさこそ実物より大きいが、各部は非常に正確に作られている。もしこの作品が正阿弥勝義の作品だとすると、珍しいムカデをモチーフにしたことなども興味深い。これから作品の調査が進むことを期待したい。
平凡社『太陽』1984年1月号に、冨木宗行氏の父で高瀬好山工房の工人であった「宗好」を紹介する記事が掲載されている。「京の手わざ」と題されたその記事は、文・松本章男、写真・石元泰博によるもので、この号から新連載となっている。1983年10月の東京国立博物館の特別展「日本の金工」で初めて自在置物が紹介されてから間もない頃で、まだ自在置物や高瀬好山については現在ほど知られていなかったと考えられる。しかし、京都に生まれた松本章男は、高校時代の正月に見た、友人の家に飾られていた富木宗好氏の伊勢海老のことを鮮明に憶えていたのだという。
冨木宗好氏は、幼少時に父が早世したため高瀬好山のもとで育った。記事では、好山の作品を朴炭で研ぎ続ける毎日だったという少年時代のエピソードなども紹介されている。2016年「驚きの明治工藝」展図録には冨木宗行氏へのインタビューが掲載されているが、それと並んで冨木家の工人の姿を伝える貴重なものといえるだろう。
石元泰博による写真には、金象嵌の赤銅製の蝶、銀製伊勢海老の自在置物、宗好氏の手を大きく写したものもある。高知県立美術館には石元作品のアーカイブ活動を行う石元泰博フォトセンターが存在するので、こうした写真も何らかの形で展示される日が来るかもしれない。
「京の手わざ」の連載は1988年に學藝書林『京の手わざ―匠たちの絵模様』として単行本になっており、この記事も連載時と同じくカラー写真とともに収録されている。
“KOGEI Next” Exhibition 2022 に参加いたします。
2022年11月18日(金) ・19日(土)
November 18th & 19th Open11:00〜20:00 Free Admission
※入場無料(但し、トークショー開催時間中は有料チケットもしくは整理券をお持ちの方のみ入場可)
六本木ヒルズ「Hills Cafe / Space」
東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ ヒルサイド2F
営業時間/11:00-20:00(コロナ渦による変更の可能性あり)
Roppongi Hills Mori Tower Hill Side2F, Roppongi, Minato, Tokyo Prefecture.
Roppongi Hills 「Hills Cafe / Space」
出展作家
大竹亮峯/Ryoho Otake、織田隼生/Toshiki Oda、壽堂/KOTOBUKIDO、
塩見亮介/Ryosuke Shiomi、鈴木祥太/Shota Suzuki、野田朗子/Akiko Noda、
彦十蒔絵/Hikoju-Makie、本郷真也/Shinya Hongo、前原冬樹/Fuyuki Maehara、
松本涼/Ryo Matsumoto、David Bielande
川崎正蔵は川崎造船所の創業者で、日本初の私立美術館「川崎美術館」を創設した実業家である。その収集品図録『長春閣鑑賞 第六集』(國華社 大正3年)に一対の鉄製人物置物が掲載されており、「恐く明珍家の名匠の手になりしものなるべし」としている。
この作品で想起されるのは、原田一敏「自在置物について」『MUSEUM 東京国立博物館美術誌』第507号 で「人間の自在置物」として紹介されている、フランス・Robert Burawoy 氏蔵の「臥す人」「座す人」という一対の作品である。
その紹介によれば、「臥す人」「座す人」は鉄製で、臥す人」は頭のみ、「座す人」は頭と足が可動であるという。『長春閣鑑賞 第六集』掲載の鉄製人物置物の作品写真をあらためて見ると、立たせてある右側の人物の姿勢は、座っている方が自然なように思われる。左側の横たわる人物では確認できないが、右側の人物は頭と足が胴体とは別部品とみられ、可動するように見受けられる。大きさについて比較すると「鉄製人物置物」は身長四寸と記されており、ともに約12cmという「座す人」「臥す人」とほぼ同じである。
甲冑師の鍛鉄の技術が用いられたと推定されるような作品で、人物を象ったものは数多く見られるものではない。一対になっている作品となれば、より珍しいものであろうが、1883年に起立工商会社がルイ・ゴンス主催の展覧会に出品した作品も「一対の鉄製人物置物」であった。さらに、その翌年には同社社長であった松尾儀助が第五回観古美術会に「明珍作鐵人物置物 二個」を出品している。(前記事「ルイ・ゴンス主催の日本美術展で展示された起立工商会社出品の自在置物」参照)。
起立工商会社および松尾儀助による前記の出品作が、川崎正蔵が所蔵していた「鉄製人物置物」と同一作であるかは断定できないが、山本実彦『川崎正蔵』(大正7年)には「森村男と川崎翁とは明治六七年頃より親交を繼續し、義兄弟として桃園に義を誓ひし者なるが、此に松尾儀助氏を加へて、三兄弟と稱し、水魚も啻ならざる親交を結びたりき」とある。「鉄製人物置物」をめぐっては、Burawoy 氏蔵の「臥す人」「座す人」という作品が現存していることに加えて、川崎正蔵と松尾儀助のこうした関係もまた注目されるところである。
『長春閣鑑賞 第六集』(國華社 大正3年)