神戸の香雪美術館で開催中の展覧会「曾我蕭白 鳥獣画の探究」に館蔵品の
鷹の自在置物が出ていると聞き、急遽見に行ってきました。
出品リストには「自在 鷹像」と「梟像」とあります。
鷹は展覧会ポスターにも使用されている彩色の鷹図と一緒に展示されていました。
この「自在 鷹像」ですが、先頃出版された「別冊太陽
明治の細密工芸」でも原田一敏先生が紹介されていた台湾の明治美術品コレクションにある板尾新次郎作の鷹とほぼ同一とみられる作品でした。「梟像」は羽などは可動せず脚指や爪が動くのみのようですが、作風は鷹と共通しており同じ作者によるものと思われます(ともに無銘のようです)。
香雪美術館は朝日新聞社創立者、村山龍平ゆかりの美術館であり同社が「國華」の発行元となったことなどから岡倉天心とも関わりがあります。天心は板尾新次郎を東京美術学校の鍛金科の教員として迎えようとした経緯があることに加え、新次郎は和歌山から朝日新聞創刊の地である大阪に移住して活動していました。また東博研究誌MUSEUM 152号掲載の「奇工板尾新次郎伝」に新次郎は鳥類の作品として梟も作ったと記されています。可動部が少なく完全な自在置物とは言い難いですが、今回出品されているような梟はこの種の作品としては現在のところ類例がないと思われます。このようなことからも今回の出品作は板尾新次郎の作品である可能性が高いのではないかと考えられます。
香雪美術館の学芸員の方に伺ったところ「自在 鷹像」と「梟像」は今回初めて展示に出たもので来歴などは判っていないとのことでしたが、前述の「奇工板尾新次郎伝」には「大阪地方を綿密に探索したらあるいは今日なおどこかに作品の一部を見出すことができるかもしれない」との記述があります。また近年TV番組「なんでも鑑定団」でも板尾新次郎作の龍の自在置物が紹介されましたが、これは神戸の所蔵者からの出品でした。村山龍平が自らの会社の所在地と活動の場を同じくしており、岡倉天心からの評価も高かった板尾新次郎の作品を買い上げてその蒐集品に加えていたことも十分考えられるのではないかと思われます。
こちらが前回のブログ記事でも紹介した板尾新次郎の鷹が表紙の書籍ですが、今回香雪美術館に出品された鷹は止まり木の部分は高さも低くかなりコンパクトになっており、床の間などにも置けそうな感じになっていました。
梟の方はその姿形からして実際はミミズクでした。頭の部分が胴体から取り外せて、中は空洞になっているそうです。鷹と同様に鉄地に丁寧な羽根の表現がされています。金も使われている丸い目と高さ20cmほどの小さめのサイズのためか、可愛らしい印象の作品になっています。
上の2つの画像は日本美術畫報初篇卷五(Google books)より。
日本美術協会の明治27年春季展覧会に出品され銀牌を受賞したものでおそらく台湾のコレクションのものと同一と思われます(追記:『日本美術協会報告』【78号 明治27年】に掲載の日本美術協会明治廿七年春季展覧会の受賞記録にはこの鷹の自在置物は存在せず)。
板尾新次郎は山中商会に雇われていたと記された文献があり、和歌山から大阪に移住したのもそれが理由の一つではないかと考えられます。また新次郎作の鷹の自在置物は日本美術協会の展覧会に明治天皇が行幸した際の玉座周辺の装飾品としても使用されたという記録もあり、その作品が高く評価されていたことが伺えます。今回展示された鷹や梟が板尾新次郎作のものだとすると、その活動の一端を示す貴重な作例だと言えるので今後研究が進み展示の機会も増えることを期待しています。
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