カエルの自在置物の写真を紹介するポスト。
Iron-forged collectible (and articulated!) ‘Jizai Okimono’ figurines from the Edo Period in Japan. pic.twitter.com/mZK1t7XIXz
— Andrew Clark (@AndrewLeeClark) July 22, 2024
これは2022年にベルリンにオープンしたピーター・ヤンセン氏の私設博物館 Samurai Museum Berlin の展示のようです。
これと同様の蛙は1976年のクリスティーズ『ハートマンコレクション金工品目録』にも載っていますが、今回の写真にある蛙とよく似ています。
先ごろ出版されたエルメス財団 編『Savoir & Faire 金属』でも、原田一敏先生による「自在置物」の中で、最初にヨーロッパで紹介された自在置物として『LE JAPON ARTISTIQUE』に掲載された蛙を取り上げています。
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k9115319/f115.item
早くから海外に紹介されてはいたものの、蛙の自在置物は非常に珍しいので、これらは同一の作品かもしれません。現存作品としてその所在が知れたのは僥倖でした。
岡倉天心が出品協力した第6回ミュンヘン水晶宮での第6回国際美術展覧会について、"JAPANESE PICTURES AT MUNICH" と題された当時の記事がありました。
The Japan Weekly Mail 1892.7-12
https://archive.org/details/jwm-bound-1892.7-12/page/529/mode/2up
記事の全文の日本語訳は以下の通り。
昨春このコラムで当時述べたように、ヴェンデルシュタット男爵は当時準備中であったミュンヘン絵画博覧会の委員たちの要請により、日本からの出品について日本当局に申し出ることを快く承諾した。しかし、彼の提案は熱烈な歓迎を受けなかった。こうした問題に関心を持つ日本の官僚たちは、一方では日本の絵画芸術が過渡期にあり、まだその新しい傾向を十分に培って世間の評価を得られるには至っていない一方で、他方では、西洋における日本美術の鑑賞力は、日本の鑑識眼が最も重視する点を理解できるとは到底思えないことを理解していた。つまり、新しい流派は、その初期段階では批判を恐れ、古い流派は西洋の趣味にそぐわないと感じているのである。この臆病さと消極的な態度を如実に物語るのは、ヨーロッパの展覧会に日本の絵画を出品するという試みが、これまで金銭面で失敗に終わってきたという事実である。美術において常に世界をリードしてきたフランスは、かつて日本にとって評価と購入者を得る最も有望な分野とみなされていた。そこで13年ほど前、この国の作品を真に代表する作品をパリに出品するという異例の試みがなされたが、出品作品は全く評価されず、ほとんどが画家に返却された。しかし、その中には狩野探美による傑作、観音菩薩が人間を創造する姿を描いた作品があった。構想と実行において見事なこの絵画は、注目を集め、喝采を浴びるべきであった。しかし、その動機が理解されなかったのか、それとも日本の絵画に共通する欠点、すなわち水彩画の力不足が世間に偏見を抱かせたのか、この絵は買い手がつかず、日本に戻った後、上野美術学校に購入され、現在もそこに飾られている。技術的には薄っぺらで感銘を受けないものの、紛れもなく天才的な作品である。この悲惨な経験は今も鮮明に記憶されており、ヴェンデルシュタット男爵がミュンヘン国際美術展への出品を初めて検討した際に、その影響を目の当たりにした。しかし最終的には、帝国博物館長の九鬼氏と上野美術学校の岡倉教授が協力を申し出、彼らの尽力により22点の絵画コレクションが完成し、バイエルンに送られた。出品作家は、今尾景年、狩野友信 川端玉章、岸竹堂、駒井龍仙、幸野楳嶺、巨勢小石、前田錦楓、森川曽文、尾形月耕、岡倉秋水、鈴木松年、谷口春林、高橋玉淵、田中月耕、梅村景山の計16名。これらの絵画は展覧会で良い場所を与えられていたが、ヨーロッパの絵画との関連性がなかったため、一群として扱われざるを得なかった。最新の情報によると、22点のうち7点が売却済みであるが、それほど高い評価は得られなかったようだ。どのような絵画が好まれたのかを知ることは、興味深く、また示唆に富むものである。 7点の絵画のうち2点は鯉を描いたもので、日本の画家たちが見事に描く題材として、今尾景年と谷口春林の作品である。鳥を描いた2点は、駒井龍仙の「雪中雀」と高橋玉淵の「野鴨」である。玉園の「野鴨」の購入者はバイエルン摂政で、支払った金額は300マルク(約100円)であったが、これはヨーロッパの絵画に比べれば安い金額であった。人物を描いた1点は尾形月耕による「東京の行列」で、非常に巧みな水彩画であり、構成が巧みで、力強さと動きに満ちている。不思議なことに、動物を描いた1点は田中月耕による「兎とツツジ」であり、もう1点は梅村景山による「月光の花の風景」であった。このリストから得られる教訓は、ヨーロッパが日本の画家に対する当初の評価を変えておらず、今でも彼らの最高の作品は鳥、花、魚の描写に求めているということだ。北斎、谷文晁、英一蝶、そして彼らの流派の大胆な作風は、その見事な線の力強さと努力の直接性によって、人物画においても常に高い評価を得るだろう。ミュンヘンでは、尾形月耕の「行列」がその好例であった。しかし、西洋の鑑識眼を持つ人々は、明らかにまだ日本の画家たちのより真摯な業績を期待していない。近代派、すなわち日本のモチーフを西洋の趣味や技法と融合させることを目指した派の二大巨匠、橋本雅邦と川端玉章は、買い手がつかなかったことから推測するに、あまり評価されていなかったようだ。この二人の画家は、1880年の東京勧業博覧会に出品した大作で読者の多くにもよく知られているだろうが、ミュンヘンに5点の絵画を出品した。橋本は風景画3点、川端は海景画1点とリスの絵1点である。これらの絵には確かに多くの優れた点があったが、橋本氏と川端氏が主導する新たな展開について一般的に言えば、日本の規範から大きく逸脱し、新たな観点からの批評を呼ぶほどには至っているものの、西洋画派に十分に接近し、そこで認められる地位を得るには至っていないと言える。この件全体は非常に興味深い。なぜなら、これらの論文とその成果には、日本の絵画芸術の将来に劣らず重要な問題が関わっているからだ。ドイツの鑑定家による批評(もしあったとすれば)を研究する機会はまだ得られていないが、ミュンヘンから個人的に得た情報によると、日本の絵画に対する第一の不満は、ヨーロッパの家庭のどの場所にも合わせられないということである。もしそうでないとしたら奇妙である。日本人は常に自分の家庭環境のために絵を描いてきた。彼らの掛け物、形から表装に至るまで、それは比較的孤立した床の間や、日本室の慎ましく落ち着いた雰囲気にしか適さない。芸術家の調和感覚から、徐々に中間色と限定的な効果への愛着が生まれ、力強さよりも柔らかさを志向した色彩の使用も見られるようになった。こうした流行が芸術にどれほど根付いているのか、本質的な特徴を変えることなくどれほど改変できるのかは、現実的な解決を待つ問題である。ミュンヘンからは、日本の芸術家が何よりも必要としているのは、西洋の最高の巨匠たちの作品を恒久的に研究する機会であり、西洋の芸術家たちが現在も、そして常に目指してきた理想に親しむ機会であるという提言がなされた。これは、東京に古代と現代の巨匠の美術館を設立することによってのみ実現できるだろう。しかし、絵画芸術の発祥地であるイタリアの不況の圧力により、比較的安価な価格で多くの美しい傑作が市場にもたらされたため、そのような目的を達成するには今が特に好機であると言われているものの、日本がその努力を払うとは到底期待できない。現在、日本の芸術発展を公式に指導している人々は、日本が外国の影響に屈することなく、自らの道を切り開くことを決意している。一方、西洋の技法に触れたいと願う少数の奮闘芸術家たちは、あまりにも不況に見舞われ、公的援助も完全に失ったため、すぐに成功する望みは抱けない。しかし、海外からの援助を得られるかどうかは、日本にとって極めて重要な問題である。なぜなら、十分な供給先がないからだ。日本の美術品の大部分 ― ほぼ全てと言ってもいいかもしれない ― は西洋市場向けである。ヨーロッパとアメリカが日本の漆器、磁器、絹、刺繍、彫刻、エナメルを購入する用意がなかったら、これらの美しい工芸品の生産は速やかに終焉を迎えるであろう。日本の絵画芸術も同様の状況にある。日本の趣味とは無縁となり、まだ外国の人々の想像力に大きく訴えかけることもできていない。最終的に、日本はどの方向に向かうべきなのだろうか。
ヴェンデルシュタット男爵が日本からの出品を要請する役割を担っていたことや、日本の当局が出品に前向きではなかったことを伝えています。購入された作品が花鳥画ばかりというのは、1902年ミュンヘン水晶宮年次美術展覧会への出品作品が花鳥画に偏っていた理由になりそうです。その中で唯一、人物を描いたものとして尾形月耕の作品が購入されたのは、その完成度の高さゆえと評価しています。
購入された尾形月耕の作品とみられる図版が当時のドイツの美術誌に載っています。Prozession in Tokio(東京の通り)という作品名も一致します(前後の記事内容は直接の関連はないようです)。
https://play.google.com/books/reader?id=1b5sohC_1BwC&pg=GBS.PA72-IA2&hl=ja
1898年(明治31年)の美術学校騒動の原因に、岡倉天心が文部省当局の心証を害したこともあったようですが、「バイエルン政府博覧会日本画出品に就いての岡倉覚三の無断取扱い」もその要因の一つとして挙げられています。
浦崎永錫 著『日本近代美術発達史』明治篇,東京美術,1974.
https://dl.ndl.go.jp/pid/12418370/1/211
清見陸郎 著『岡倉天心』,平凡社,昭和9.
https://dl.ndl.go.jp/pid/1232448/1/77
京都府からの出品として府庁式場に作品が陳列されたにもかかわらず、竹内棲鳳、菊池芳文らがミュンヘン水晶宮の第6回国際美術展覧会へ不出品となったのも、この「無断取扱い」が関係していそうです。
岡倉天心の東京美術学校校長辞任後の、1902年ミュンヘン水晶宮年次美術展覧会への横山大観、菱田春草らの出品について国内の文献に情報が見当たらないのも、同様の事情があるからなのかもしれません。
『東京芸術大学百年史』東京美術学校篇 第1巻に、日本政府が賛同の要請を拒否した明治25年の「ババリヤ万国美術展覧会」に岡倉天心が独自に出品協力をしたとあります。
https://dl.ndl.go.jp/pid/13320058/1/137
この「ババリヤ万国美術展覧会」というのは、ミュンヘン水晶宮での第6回国際美術展覧会のようです(1892年6月1日から10月末まで開催)。初版の展覧会カタログには日本からの出品は載っていないのですが、9月15日発行の第4版には追加されています。
https://play.google.com/books/reader?id=_urqJ1cdBw8C&pg=GBS.PP10&hl=ja
日本画の出品は Ölgemälde(油画)の分類で、以下のようになっています。
Hashimoto - Gaho , Japan . Alte Bäuerin . * - 715a- Landschaft . * 715b- Im Schnee . * 715c- Landschaft ( Kakemono ) .
Imao Keinen , Japan . 848a- Karpfen . * 848b- Winterlandschaft . *
Kano Tomonobu , Japan . 906a - Artias und der Drache . *
Kawabata - Giokusho , Japan . 915a- Eichhörnchen . * 915b- Strandlandschaft . *
Kishi - Chikudo , Japan . 934a- Wolf . *
Komai - Riusen , Japan . 955a- Sperlinge im Schnee . *
Kono - Bairei , Japan . 959a- Die Fluth zu Narnto .
Kose Shoseki , Japan . 962a- Gänse - Heerde . *
Mayeda - Kinpu , Japan . 1130a - Chrysanthemen . *
Mori Kawa - Sobun , Japan . 1200b- Aus Avasiyama . *
Nomura Bunkio , Japan . 1260b- Aus Avasiyama . *
Ogata - Gekko , Japan . 1281a- Prozession in Tokio . *
Okakura Shusui , Japan 1281b- Zurückweisung des Einfalls der Tartaren . *
Sujuki - Shonen , Japan . 1694a- Fuji - Jan . *
Tajuchi - Shunrin , Japan . 1703a- Karpfen . *
Takahashi - Giokuen , Japan . 1703b- Enten . *
Tanaka - Gekko , Japan . 1703c- Kaninchen mit Azaleen . *
Umemura - Keizan , Japan . 1773b- Blumen im Mondschein . *
橋本雅邦 今尾景年 狩野友信 川端玉章 岸竹堂 駒井龍仙 幸野楳嶺 巨勢小石 前田錦楓 森川曽文 野村文挙 尾形月耕 岡倉秋水 鈴木松年 谷口春林 高橋玉淵 田中月耕 梅村景山とみられる名前が確認できます。
『日本美術院百年史』にある高橋玉淵の評伝には、明治23年のこととして記されていますが「ドイツで開催されたババリア美術展覧会に作品を送り、皇帝御用品」となったとあります。
https://dl.ndl.go.jp/pid/13230993/1/328
以下のドイツの記事にはバイエルン摂政のルイトポルトが第6回国際美術展覧会で玉淵の作品を購入したとあり、おそらくこれを指しているのでしょう。今尾景年、尾形月耕らの作品を購入した個人もいたようです。
Allgemeine Kunstchronik: ill. Zeitschr. für Kunst, Kunstgewerbe, Musik, Theater u. Litteratur, Band 16
https://play.google.com/books/reader?id=7dcr6tl9ajwC&pg=GBS.PA446&hl=ja
『京都府百年の年表』8 (美術工芸編) には「独国ババリア美術展覧会への京都府からの出品を府庁式場に陳列(竹内棲鳳「鷲」、菊池芳文「花鳥」、山田松溪「富士秋景」、三宅呉暁「猿猴」、今尾景年「雪中水車の景、鯉魚」森川曽文「保津川」、幸野楳嶺「鳴門の景色」、鈴木松年「那智の滝、富士の景」、山元春挙「藤と猿猴」その他)」との明治25年5月の記事が紹介されていますが、
https://dl.ndl.go.jp/pid/9537077/1/56
竹内棲鳳、菊池芳文、山田松溪、三宅呉暁、山元春挙らの名前はカタログに見当たりません。
第4版カタログには、"Eine Kollektion japanischer Werke ist den Bemühungen des Herrn Baron von Wendelstadt zu verdanken" (日本の作品のコレクションはヴェンデルシュタット男爵の尽力によるもの)とあります。
https://play.google.com/books/reader?id=_urqJ1cdBw8C&pg=GBS.PR6&hl=ja
ヴェンデルシュタット男爵は1892年4月には東京に来て岡倉天心と会ったりしているようです。
http://www.gaestebuecher-schloss-neubeuern.de/biografien/Wendelstadt_Jan_Freiherr_von_Privatier.pdf
竹内棲鳳、菊池芳文などを含め、京都府からの出品として陳列された作品の全てが第6回国際美術展覧会に出品されたわけではないのだとすると、この人も何か関係しているのでしょうかね。
先の『東京芸術大学百年史』の記事によると、明治26年にはババリア国王から岡倉天心に勲章の贈与があったとのこと。このときの岡倉天心の出品協力は、のちの1902年ミュンヘン水晶宮年次美術展覧会への横山大観、菱田春草、尾竹竹坡を含む14名の出品にも影響していそうですね。
1915年にロンドンで開催された「Loan Exhibition of Japanese Art and Handicraft」展には自在置物も何点か出ており、以前ブログに書いたことがありました。
https://www.kotobuki-do.com/2021/06/12/iron-quail-by-takaishi-shigeyoshi/
『東洋の至宝を世界に売った美術商―ハウス・オブ・ヤマナカ―』の著者、朽木ゆり子氏がこの展覧会について昨年記事を書いていました。知らなかったのですが、この展覧会は写真入りの豪華版カタログも制作されていたとのこと。
https://gakugei.shueisha.co.jp/mori/serial/yamanaka/002.html
この記事では、この豪華版カタログは1976年にチャールズ・タトル社より1巻本として復刻されたとありますが、同年にSawers-Valansot からも復刻版が出ていたようです。
その Sawers-Valansot 刊のカタログを入手しました。残念ながら自在置物の写真は掲載されていなかったのですが、ボストン美術館所蔵の2メートルを超える大きさの龍の自在置物で知られる、高石重義の鶉の香炉の写真が載っていました。高石重義はボストン美術館の龍以外の作品は知られていないので、貴重な作例の写真ではないかと思います。
カラー図版も八枚あり。並河靖之、濤川惣助の作品も出版物でカラーで紹介されたのは、もしかしたらこれが初めてだったのかもしれません。
初代安本亀八は『名家談叢』第十三号に掲載された「活人形の話(続)」の中で、明治8年に上海で興業したことを語っており、そのときの現地の新聞記事を屏風に貼ったと述べて、「東洋寄巧人物(乙亥九月三十日上海申報)」と題した文を紹介しています。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1583661/1/27
東洋寄巧人物(乙亥九月三十日上海申報)
今有新到東洋五彩眞衣人物極像人形大小如活人一式計有六十餘位或装如富翁狎妓者或装勇士闘力者或装閨女或装强盗或乞丐或和尚諸色人等種種装飾一切輝煌景緻不能晝述其工巧絶倫絲毫畢肖與活人無異至於傳神之巧妙非筆端所能活書觀人者所費無幾儼然身在東洋境地觀盡風土民矣本廠設大馬路新衙門西首准於九月念六日毎日九點一鐘起至晩上十點鐘止開塲觀看
本廠並有精巧揑相倘者價目面議如若不像分文取
日本 安本氏啓
以上がその全文ですが、これは上海の新聞『申報』乙亥九月三十日(西暦では10月28日)に掲載された実際の記事というわけではなかったようです。
『申報』の記事は「觀東洋奇巧人物紀」と題されています。
https://archive.org/details/shenbao-1875.10.28/mode/2up
清秋多暇閒步郊原至會審公廨之側有高榜於門前者爲東洋奇巧人物試往觀焉插竹爲籬編茅作屋窺於門者如堵墻至門左揭簾而入但聞鼓聲填然令人意遠其房實其中而虛其外隔以蘆葦每室置泥塑人像其數不等或爲富商貴宦或爲騃童憨女要皆惟妙惟肖雖使良畫工執筆摹之當不能如其神似其中有為乞丐形者囚首喪面彷彿鄭監門之流民圖也有爲飲宴形者舞手蹈足不啻過屠鬥而大嚼也有一室內設匡床焉一人仰面而睡小竊睨其旁狡獪之情形如睹也公庭行杖則吏役恃强罪人懾服曲院尋春則名姬趨侍狎客歡呼至於桃花一樹爛若雲霞侍女登高手攀嫩蕊嬌憨之態如在目前又一室内羅帳四垂一女子衣衫末整黙坐床前徐理雲鬢羞旖旎殊覺可人其他則有儈衆和南恍間懺悔匪徒行刧幾覩破猖閨女則坐繡閒窗武士則逞强曠野衣服則皆五彩備極鮮妍器具則並一新不嫌繁瑣凡茲種類不下百人洵足備騒客之曠觀游人之間覽也其中有男女裸相逐者未免太不雅馴耳夫東洋離中國數千里欲爲域外之觀者每以道阻且脩爲憾雖有輪舶亦未免顧後瞻前兹乃不出鄉邑而其民物風土瞭如指掌費長房縮地術不得專美於前矣觀旣竟緩步而出復有西國人二名一類水手設西洋盡数紙任人照看而取值焉此殆爲奇巧人物之餘波一笑過之
判読しづらい部分もあって誤字もあるかもしれませんが、亀八の生人形の精巧さが賞賛されているのは間違いないようです。
『申報』の美術に関する記事をまとめた『上海美術風雲——1872-1949申報藝術資料條目索引』にも「観東洋奇巧人物紀」は載っているらしいのですが、亀八の興行が与えた何らかの影響はあったのでしょうか?
https://www1.ihp.sinica.edu.tw/Publications/Book/570
鹿児島大学リポジトリ
翻刻木脇啓四郎「明治八年上海日記」
http://hdl.handle.net/10232/0002000697
安本亀八と同じ年に上海に行った木脇啓四郎の日記についての論文が公開されています。
この渡航は陶器の販路開拓のためのものだったとのこと。安本亀八「活人形の話」でも上海の様子が結構詳しく語られていたので、合わせて読むと当時の上海の状況が想像しやすいかもしれません。亀八が泊まった「肥前から行て居る田代屋と云ふ宿屋」は、木脇啓四郎の日記にも出てくる明治元年に開店し陶器や小間物を売ったという田代屋かも?
2013年に鹿児島市立美術館・鹿児島大学附属図書館合同企画展「木脇啓四郎描く-幕末・明治の薩摩藩文化官僚の画業」があったのですね。
https://www.lib.kagoshima-u.ac.jp/ja/collection/record/201201
最近出た『画工の近代』でもこの人は取り上げられていないようです。
1902年にミュンヘンのグラスパラスト(ガラス宮殿、あるいは水晶宮)で6月1日から10月末日まで開催された年次展覧会で、バイエルン州の文化・学術ポータルサイト bavarikon などで公式カタログ Offizieller Katalog der Münchener Jahresausstellung 1902 im kgl. Glaspalast が公開されていますが、14名の日本画家の出品が確認できます。
https://www.bavarikon.de/object/bav:MON-GLA-00000BSB00002421
カタログに名前が見られる日本画家は以下の通り(昨年泉屋博古館東京で開催された「オタケ・インパクト 越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズム」展図録に収録されている堀川浩之氏の「海外の尾竹三兄弟 〜海外に所蔵される尾竹作品と戦前の三兄弟の海外事績〜」では、このうち尾竹竹坡の出品について紹介しています)。
岡田梅邨 木村武山 尾竹竹坡 石川竹邨 横山大観 西郷孤月 高橋廣湖 上原古年 小原古邨 岡田桜邨 中島醴泉 倉石松畝 鈴木松翠 菱田春草(出品番号順)
カタログ実物。
いずれも Aquarell(水彩画)での出品で、名前とともに Yanaka, Tokio と記されていることから日本美術院が関係した出品のように思われますが、代表的な日本画家の菱田春草や横山大観の年譜でも、この展覧会について記されているものはないようです。なお、Yanaka, Tokio のあとに(M.K.G)とあるのは、「ミュンヘン芸術家協同組合」の審査対象とのこと(この展覧会は様々な団体によって審査されていたようです)。
この時期のグラスパラストの展覧会についての国内の文献を探してみたのですが、前年の1901年の展覧会が「第八回万国美術博覧会」として開催されることを伝える外務省の記録があるのが見つかったくらいでした。
「独逸国ミュンヘン玻璃宮ニ於テ第八回万国美術博覧会開設一件」
https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/B12083570800
どのような経緯でこの展覧会に日本画が出品されたのか、興味をそそられます。出品された作品の題を見ると、花鳥、風景が画題に選ばれ、人物画はないように思われますが、それにも意図があったのでしょうか。
岡田梅邨
1734 Blumen im Regen. (Aquarell.) * 雨の中の花
1735 Karpfen. {Aquarell.) * 鯉
木村武山
1785 Morgen unter den Fichten. (Aquarell.) * トウヒの木の下の朝
1786 Päonie. (Aquarell.) * 牡丹
1787 Lilie. (Aquarell.) * 百合
尾竹竹坡
1789 Bambus und Sperling. (Aquarell.) * 竹と雀
石川竹邨
1790 Päonien und Schmetterling. (Aquarell.) * 牡丹と蝶
横山大観
1895 Frühlingsmorgen. (Aquarell.) * 春の朝
西郷孤月
1923 Ansicht von Fuji. (Aquarell.) * 富士の眺め
1924 Ein Flammenfeld. (Aquarell.) * 炎の野原
高橋廣湖
1926 Reiher. (Aquarell.) * 鷺
1927 Schnepfe. (Aquarell.) * 鴫
上原古年
1928 Iris. (Aquarell.) * 花菖蒲
1929 Frühling. (Aquarell) * 春
1930 Iris. (Aquarell.) * 花菖蒲
1931 Kamelien. (Aquarell.) * 椿
1932 Eisvogel. (Aquarell.) * カワセミ
1933 Pfeilwurzranke. (Aquarell.) * 葛?の蔓
小原古邨
1934 Geflügel. (Aquarell.) * 家禽
1935 Früchte. (Aquarell.) * 果物
1936 Sperlinge. (Aquarell.) * 雀
1937 Tauben. (Aquarell.) * 鳩
岡田桜邨
2013 Iris. (Aquarell.) * 花菖蒲
2014 Geflügel. (Aquarell.) * 家禽
2015 Chrysanthemen. (Aquarell.) * 菊
2016 Tauben. (Aquarell.) * 鳩
中島醴泉
2031 Herbstabend. (Aquarell.) * 秋の夕暮れ
2032 An der Küste. (Aquarell.) * 海岸
2033 Bei den Seen. (Aquarell.) * 湖畔
倉石松畝
2077 Affe. (Aquarell.) * 猿
鈴木松翠
2078 Iris und Schnepfe. (Aquarell.) * 花菖蒲と鴫
菱田春草
2079 Kirschblüten. (Aquarell.) * 桜
2080 Reiher. (Aquarell.) * 鷺
先日台北で開催されたオークションにおいて、宗義(田中唯吉)の龍が自在置物としては史上最高の金額での落札となりました。
https://live.yu-jen.tw/lots/view/4-GSAMO9/-d-1950-
最終的な落札額は4000万台湾ドル以上となり、日本円にして2億円に迫るほどの額に。これまでの最高額は一億円近くで落札された板尾新次郎の鷹の自在置物でしたが、帝室技芸員の作品などを含めても近代日本の工芸品でこれほどの額になることは珍しいのではないでしょうか。
今回落札された宗義の龍は、ボストン美術館にある2メートル余りの龍を上回る3メートルの大きさで、自在置物としては最大と思われる作品。東京藝術大学大学美術館「驚きの明治工藝」展では天井から吊るして展示されていました。
こちらの動画でも詳しく紹介されています。
江戸~明治時代の可動式フィギュア!残念ながら今は錆びついてしまって、首と脚くらいしか動きません…羽を広げてあげたかったな。『自在置物』と呼ばれ、江戸時代の甲冑師が平和な世の中で武具の代わりに作るようになったとか。5月末まで展示中🦚 pic.twitter.com/cWAzmNaecX
— 藤田美術館 (@FujitaMuseum) May 9, 2025
藤田美術館で孔雀の自在置物を展示中とのこと。これまで見たことがない作風です。孔雀の自在置物は鉄地のものしか見たことがなかったのですが、これは金で装飾したり、尾羽の色彩まで再現したりしています。
この孔雀の自在置物、もしかすると板尾新次郎の作であるのかもしれません。
大阪で活動した板尾新次郎は鳥類の自在置物を制作したことが伝えられており、東京国立博物館美術誌152号「奇工板尾新次郎伝」には、「孔雀は新次郎が晩年精根を傾けて造った非常に豪華で精細極密なもののようであるが、これは大阪の某富豪の依嘱によって製作されたものの由」とあります。
香雪美術館には新次郎の作と思われる鷹の自在置物があることや、パリ万博出品に出品して銀牌を受賞した作品が金象嵌を施した鉄製の孔雀であることなどを考えると、この孔雀もその手によるものではないかという思いが湧きますが、まずは作品に関する詳しい情報が俟たれるところです。
香雪美術館の自在置物、板尾新次郎のパリ万博出品については以下ブログ記事参照のこと。
追記(2025/5/15)
藤田美術館にて実見。この作品が展示されるのは初めてとのこと。解説によると箱に「2代目・宗清」とあるそうです。
「宗清」銘の自在置物は伊勢海老もありますが、作者についての詳細不明です。やはり「清春」とも号した板尾新次郎の別号なのか?
先頃のクリスティーズのオークションに、正阿弥勝義作の蟷螂の自在置物が出品されていました。
https://www.christies.com/en/lot/lot-6525544?ldp_breadcrumb=back
クリスティーズのオークションに正阿弥勝義の蟷螂の自在置物が出ていたのですが、落札価格はUSD 52,920と800万円近い価格にhttps://t.co/kNBAPd7sPd
— 壽堂 hisashi moriyama (@sushifactory) March 18, 2025
単一の昆虫自在置物としては、US$35,000で落札された高瀬好山の赤銅のアゲハチョウがこれまでの最高額だったのではないかと思いますが、それを上回る価格になっています。
以前に正阿弥勝義のムカデの自在置物について紹介しましたが、それ以外にも自在置物を作っていたということになりますね。
実物の蟷螂を正確に再現していますが、その表現には正阿弥勝義の他の作品にみられる蟷螂と共通したものを感じます。
宮内庁の書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている「各種写真(第9号)」
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Toshoryo/Detail/1000517600009
画幅の写真が多数あり、内国絵画共進会(第一回、第二回)での受賞作品を写したもののようです。
河鍋暁斎の弟子としても知られるジョサイア・コンドルが第二回内国絵画共進会で褒状を得た作品「雨中鷺」とみられる写真もあります。「英國人 ゼー、コンデル」「褒状」とあるのが確認できます。
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Toshoryo/Viewer/1000517600009/ec828df098c041f69d0d6003fe562286?p=117
コンドルが描いた鷺は、この『暁斎画談』のものはよく見るのですが、受賞作「雨中鷺」の写真が紹介されているのは見たことがなかったように思います。
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https://www.britishmuseum.org/collection/object/A_1979-0305-0-390-2?selectedImageId=1613398551
この「銅章」及び「橋本直義」とある鶏合の図の写真も、第二回内国絵画共進会の受章作品かと思われます。
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Toshoryo/Viewer/1000517600009/ec828df098c041f69d0d6003fe562286?p=99
町田市立国際版画美術館の楊洲周延展で「鶏合」の図が第二回内国絵画共進会で受章したことから周延は同様の絵を多く書いた、ということを知ったのですが、この写真については同展図録でも触れられていなかったので、知られていなかったのかもしれません。