東京藝術大学大学美術館「驚きの明治工藝」展で見るのを楽しみにしていた作品の一つがこの板尾新次郎の鷹の自在置物でした(過去に板尾新次郎について触れたブログ記事はこちら)。予想通りの精巧な作品であったことに加えて架や架垂、大緒も良好な保存状態であることが確認できました。
パネル展示もされていましたが、『日本美術画報 初編巻五』掲載の日本美術協会明治廿七年春季展覧会に出品されたものと同一かと思われる作品です(下記リンクの東京文化財研究所『美術画報』所載図版データベース参照)。
http://www.tobunken.go.jp/materials/gahou/108946.html
(追記:『日本美術協会報告』【78号 明治27年】に掲載の日本美術協会明治廿七年春季展覧会の受賞記録にはこの鷹の自在置物は存在せず)。
今回実際に作品を見てその優れた観察眼も感じられました。本展での展示を機に板尾新次郎とその作品の研究が進むことを望みます。
こちらは1893年のシカゴ万国博覧会に出品された板尾新次郎の「屈伸自在翼鷲置物」についての米国の新聞記事。同博覧会に出品された鈴木長吉による「十二の鷹」はその制作にあたり実際に鷹を飼育したと伝えられていますが、この記事には板尾新次郎も捕らえた2羽の鷲の一方を剥製にし、もう一方は生きたままの状態でその研究をしたとの記述があります。
明治28年に第四回内国勧業博覧会で妙技三等賞を受賞した板尾新次郎の「銀鎚鸚鵡置物」も『第四回内国勧業博覧会審査報告』http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801947/71には以下のように記されており、実際に生きた鸚鵡を飼育、観察していることがわかります。
「板尾新次郎ノ鸚鵡ハ特殊ノ工作ニシテ生禽ヲ飼養シ其活動ノ状ヲ寫ス頭嘴或ハ俯シ
或ハ仰キ翼羽乍チ翕ヒ乍チ張リ趾屈伸自在ニシテ凡テ六様ノ變化ヲ爲ス弾機螺條
ノ装置複雑ナラスシテ極メテ宛滑ナリ是レ其妙技三等賞ヲ得ル所以ナリ」
シカゴ万国博覧会出品の「屈伸自在翼鷲置物」に話を戻しますが、この作品の出品人は東京の斎藤政吉(まさきち)という人物でした。ここで、その斎藤政吉について触れてみたいと思います。
斎藤政吉の名は明治16年の『龍池会報告』第1号にすでに見ることができ、漆器を担当する委員の一人に選ばれています(下記リンク参照)。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902734/6
同じく明治16年の第四回観古美術会では出品者ともなっていますが、このとき松平確堂により「明珍作鐵屈伸龍文鎮」も出品されており、斎藤政吉が大名家の自在置物も実見する機会を得ていたと考えられる点は注目すべきでしょう。
(出品目録 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/849465/22 参照)。
また、高村光雲『幕末維新懐古談』にもその名を見出すことができます(http://www.aozora.gr.jp/cards/000270/files/46642_25181.html参照)。
「同業者の間では名の売れた」道具商であった斎藤政吉の所蔵する明時代の白衣観音を高村光雲が模刻したという話が語られており、東京彫工会発足から間もない時期との記述があるので明治20年頃ではないかと思われます。
さらに明治21年に落成した明治宮殿造営の「髹工」の一員として正殿、千種之間、牡丹之間、竹之間の室内装飾を担当していたことを示す記録(工学会編『明治工業史 建築編』工学会明治工業史発行所 昭和2年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1226010/223 )が残っており、当時の美術界における有力者の一人であったことが窺えます。
上記記事は日本美術協会明治廿八年春季展覧会に斎藤政吉の長男・芳太郎が自作の蒔絵の作品を出品したときのもの(日本美術画報 二編巻四)。
斎藤政吉は「新製」の美術品輸出を生業としながら古美術品も収集していた旨が記されており、閣龍(コロンブス)博覧会から帰国して数ヶ月後に病没したと述べられていることから亡くなった時期は明治27年頃とみられます。
上の一連の写真は筆者蔵の斎藤政吉製品とそれに付属していたリーフレットです。記念品として用いられたとみられる盃の裏面には明治三十三年と記されています(この年には斎藤政吉はすでに没しているので、名前を継いだ人物がいるものと思われます)。
二つ折りのリーフレットの表面には所在地と店舗の写真、裏面には受賞歴が記載されており、「米国コロンブス世界大博覧会」(シカゴ万国博覧会)での受賞は銅賞となっています。板尾新次郎の「屈伸自在翼鷲置物」についてこれまで知られていたのは受賞したという記録のみでしたが、これに従うならば銅賞の受賞であったと考えられます。また「獨国金工万国大博覧会」における金賞受賞の記載については明治18年のニュルンベルク金工万国博覧会での受賞と思われます。この博覧会に斎藤政吉は海老と蟷螂の自在置物とみられる作品を出品しています(この二つの博覧会への出品については以前まとめた自在置物の博覧会等出品年表参照)。
これらのことから斎藤政吉は早くから輸出品としての自在置物に着目していたことが窺え、実際に博覧会に出品することで高い評価を受けていたことがわかります。
万国博覧会出品の確かな記録が残っている自在置物作家は現在のところ板尾新次郎だけですが、ニュルンベルク金工博覧会出品作の作者なども含め、さらなる自在置物の研究の進展も期待したいところです。
追記
ニュルンベルク金工万国博覧会の詳細については以下の論文に記述あり。
種田和加子「泉清次と泉鏡花 : 博覧会の時代」『藤女子大学文学部紀要』 53 2016年 http://id.nii.ac.jp/1387/00000795/
ドイツの新聞に寄稿された同展の評論に自在置物とみられる作品についての言及があるとのこと。
Offizieller Katalog, Internationale Ausstellung von Arbeiten aus edlen Metallen
und Legirungen in Nürnberg 1885. Herausgegeben vom Bayrischen
Gewerbemuseum in Nürnberg, Nürnberg, 1885
オンライン公開のニュルンベルク金工万国博覧会公式カタログ
https://opacplus.bsb-muenchen.de/metaopac/search?documentid=8304877
日本の出品リストのSaitoh, M が斎藤政吉とみられ、Schmuckgegenstände aus gold silber kupfer und legirungen(金、銀、銅および合金の装飾品)が自在置物であったと推測される。
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