昭和12年5月、「白鶴翁」嘉納治兵衛が催した茶会「白鶴山荘春季美術館釜」の飾付けに、鷹の自在置物が用いられていたことを、当時の『茶道月報』の記事が伝えている。
『茶道月報』(319),茶道月報社,[1937-07]
https://dl.ndl.go.jp/pid/11208215/1/52
「白鶴山荘春季美術館釜」は「白鶴翁自ら銘器をひつ提て美術館前の山荘に於て二日間在釜される例になつて居る」といい、「それで此春は去る五月十五、六の両日にも盛大に催された」とある。
鷹の自在置物が用いられた本席の飾付けは以下のような内容であった。
床 水車躍鯉楓図 一鳳筆
花生 乾隆官窯黄地壺
花 天女花 百合
書院 堆朱鐘鬼〔ママ〕彫香合
棚上 正倉院御物寫
弾弓 竹絃 矢二本
奈良 森川杜園作
木彫武内宿禰像
同 杜園作
棚下 鉄製鷹 唐木枠の上にとまって居る置物 明珍作
「鉄製鷹」について、「鷹の置物は名工明珍の作であって例の如く羽、尾、首など自由自在に動くようになって居る」と記されていることから、自在置物であったことが知れる。鯉、鍾馗、弓矢などを表した作とともに飾られていることからわかるように、この飾付けは五月人形の趣向であった。飾付けに合わせて用いられた、それぞれ銘が金剛杖、弁慶の茶杓と蓋置、法螺貝を写した道八作の鉢や山道盆なども、五月人形のモチーフにもされる「勧進帳」の牛若、弁慶を表している。
第二次大戦後は長く忘れられ、近年では明治期の輸出向け工芸品として注目されることが多い自在置物だが、昭和初期において、著名な実業家でもある嘉納治兵衛の催した茶会で用いられた記録があることは興味深い。当時、少なくとも茶人のように古美術品に親しむ層には「明珍」による可動の作品が広く知られていたことが、「例の如く羽、尾、首など自由自在に動く」と書かれていることから窺える。白鶴美術館と同じく神戸の香雪美術館は、茶人でもあった村山龍平の収集品を収蔵する美術館であるが、大阪で活動した板尾新次郎の作とみられる鷹の自在置物を所蔵している。板尾新次郎は山中商会とも関わりがあったとみられるが、山中吉郎兵衛、村山龍平、嘉納治兵衛はいずれも関西の実業家を中心とする茶の湯の会「十八会」の会員であった。「白鶴山荘春季美術館釜」で用いられた「鉄製鷹」は「明珍作」となっているが、板尾新次郎の作であった可能性もあるように思われる。
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