井戸文人編『日本嚢物史』(日本嚢物史編纂会 大正8年)に湯川廣斎という東京の人物が牙角彫刻家として紹介されている(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1869703/452)。大石芳斎の弟子で「尾崎谷斎の風を慕いて大成した」という。同書には大石芳斎についても記されている(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1869703/451)が、牙材で竹を模したものや、懐中時計の器械を彫り出したものを製作した話なども紹介されており「名人中の名人」と評されていたとある。
廣斎は後には「全彫り」の置物なども作り、猿を得意としていたほか、牙彫の龍、鯉においては「屈折自在、能く其物の特徴を發揮」したとあり、これらはおそらく自在置物であったものと思われる。海外の嗜好に合わせた製作であったため、国内にはその作品がほとんど見られないという。
明治23年の第三回内国勧業博覧会に牙彫の自在置物とみられる作品が出品されたことは、以前のブログ記事「非金属製の自在置物はいかにして現れたのか」で触れたが、廣斎の廃業は明治二十年頃とあり、牙彫の自在置物を作っていたとすれば、それより前であったと考えられる。
コメントをお書きください