吉田博《精華》(東京国立博物館)
ライト・バーカー《キルケー》("Circe" Wright Barker)をインターネット上で目にしたのは比較的最近のことであったが、ライオンを従える女性像というのが吉田博の《精華》を想起させた。
展覧会図録『生誕140年 吉田博展』(毎日新聞社 2016年)に掲載の年譜によれば、吉田博は1900年5月5日にニューヨークを出発し、5月12日にロンドンに到着している。「ロンドンではロイヤル・アカデミーやナショナル・ギャラリー、テート・ギャラリー、大英博物館などを繰り返し訪れて名画を学ぶ」とあるが、同年同月から始まったロイヤル・アカデミーの展覧会にはライト・バーカー《キルケー》が展示されていたようだ。同展覧会カタログには5月の第一月曜日から開催(The Exhibition opens the first Monday in May)とあり、ギャラリー No. III の141番に確認できる。
The Exhibition of the Royal Academy of Arts MDCCCC(Smithsonian Libraries )
https://library.si.edu/digital-library/book/exhibitionofroya00exhi
同展覧会カタログはロイヤル・アカデミーのウェブサイトでも公開されているが、こちらは会期などを記したページがみられない。
The exhibition of the Royal Academy, 1900. The 132nd.
『生誕140年 吉田博展』の稲富景子「吉田博《精華》について」による解説では、モチーフのモデルになったとみられる西洋絵画をいくつか挙げており、吉田博がルーベンス《ライオンの巣窟のダニエル》をロンドンで見た可能性があると指摘しているが、《キルケー》への言及はされていない。
『オデュッセイア』には、キルケーの魔法によって人間から狼や獅子に姿を変えられた者たちの従順さが描写されており、ライト・バーカー《キルケー》に描かれた狼やライオンの姿はそれに倣ったものと考えられる。上半身のみの半裸ではあるがキルケーが裸体の女性像として描かれ、ライオンが殊更に従順さを見せている点は、やはり《精華》に通じるものがある。もし吉田博が《キルケー》を見て《精華》の参考にしていたとすれば、『オデュッセイア』の物語などにみられるキルケーの描写についてどれほど知っていたのか、という点も興味深いところである。
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kotoyo_sakiyama (土曜日, 09 4月 2022 22:20)
久しぶりに深い考察に遭遇し愉しく読みました。ありがとうございます。海外サイトまで参照しての考察には感服します。これを読んでわたしは吉田博のスケッチブックの実物が無性にみたくなりました。図録『生誕140年 吉田博展』に出ているライオンのスケッチの白黒写真があまりも小さくて、なんでもっと大きく扱わないんだ、と思ってしまいます。さて、1900年にロンドンで博がキルケーを見たのではないかという新しい推論はなかなか説得力があると思いました。ただ一方で、精華を描くまでには12年の年月が経過しているわけで、12年間も意識し続けていたんだろうか、と気になりました。もし1900年の博のスケッチブックが残っているなら、そこに模写があるのでは、と思います。今後のさらなる考察に期待します。