川崎正蔵は川崎造船所の創業者で、日本初の私立美術館「川崎美術館」を創設した実業家である。その収集品図録『長春閣鑑賞 第六集』(國華社 大正3年)に一対の鉄製人物置物が掲載されており、「恐く明珍家の名匠の手になりしものなるべし」としている。
この作品で想起されるのは、原田一敏「自在置物について」『MUSEUM 東京国立博物館美術誌』第507号 で「人間の自在置物」として紹介されている、フランス・Robert Burawoy 氏蔵の「臥す人」「座す人」という一対の作品である。
その紹介によれば、「臥す人」「座す人」は鉄製で、臥す人」は頭のみ、「座す人」は頭と足が可動であるという。『長春閣鑑賞 第六集』掲載の鉄製人物置物の作品写真をあらためて見ると、立たせてある右側の人物の姿勢は、座っている方が自然なように思われる。左側の横たわる人物では確認できないが、右側の人物は頭と足が胴体とは別部品とみられ、可動するように見受けられる。大きさについて比較すると「鉄製人物置物」は身長四寸と記されており、ともに約12cmという「座す人」「臥す人」とほぼ同じである。
甲冑師の鍛鉄の技術が用いられたと推定されるような作品で、人物を象ったものは数多く見られるものではない。一対になっている作品となれば、より珍しいものであろうが、1883年に起立工商会社がルイ・ゴンス主催の展覧会に出品した作品も「一対の鉄製人物置物」であった。さらに、その翌年には同社社長であった松尾儀助が第五回観古美術会に「明珍作鐵人物置物 二個」を出品している。(前記事「ルイ・ゴンス主催の日本美術展で展示された起立工商会社出品の自在置物」参照)。
起立工商会社および松尾儀助による前記の出品作が、川崎正蔵が所蔵していた「鉄製人物置物」と同一作であるかは断定できないが、山本実彦『川崎正蔵』(大正7年)には「森村男と川崎翁とは明治六七年頃より親交を繼續し、義兄弟として桃園に義を誓ひし者なるが、此に松尾儀助氏を加へて、三兄弟と稱し、水魚も啻ならざる親交を結びたりき」とある。「鉄製人物置物」をめぐっては、Burawoy 氏蔵の「臥す人」「座す人」という作品が現存していることに加えて、川崎正蔵と松尾儀助のこうした関係もまた注目されるところである。
『長春閣鑑賞 第六集』(國華社 大正3年)
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